活動するゴジラ

インターネットです。

ストレスの矛先

これまでの人生を通してわかったことがある。日々の生活の「悲しい、しんどい、つらい」は食事において発露する。第一次人生もうやめちまいたいブーム下、白米の味が耐えられなくなった。とっても不味かった。今ではモリモリ食べられるが、当時はとても飲み込める味じゃなかった。白米が食べられないと、体重は減少した。健康な身体の作用によって当時の記憶は朧げになってはいるが、あれほど白米が不味かったことはない。

極端な例は上に挙げた通りだが、平常時においても作動することがある。友人などと外で食事するとき、楽しくて仕方ないのだが、なぜか食事量が半分ほどになってしまう。緊張しているのか。覚えていないほど昔から知っている仲でも、胃のサイズがお上品になってしまう。たらふく食べられることは極めて稀で、記憶にある限り一度だけだ。餃子を50個食べたとき、自分にとって相手がどれだけ安らげる存在なのか、自分の身体のことなのに感動してしまった。

暴食に走ったことはない、気がする。覚えてないのかもしれない。ムサムサしたときにわさビーフを無我夢中で一袋食べたことはある。あれ、食べてるじゃん。

わさビーフって、美味しい。すっぱムーチョって、美味しい。食べた後は1秒でも早く歯を磨きたくなるけど、それでも食べてしまう。なんであんなに美味しいんだろう。

何にも食べられなくなったら、わさビーフを食べよう。身体に悪くていいから、とりあえずわさビーフ食べて元気になろう。

 

好きの反対

好きの対義語を使いたい対象として、最近めきめきと頭角を表しているブロッコリー。「嫌い」と言う言葉があるけど、わざわざ嫌いと言ってあげることさえも相応しくない。いい加減にして欲しい。

嫌い指定しなかったことで、コンビニのサラダに入ってても買ってしまっていた。ドレッシングをかけて、箸を付けて気づく。「あれ、いるな。」とりあえず食べるけど、やはり気に食わない。わさわさとした食感、くきくきとした茎…。欠点を挙げることに脳が働き、美味しいサラダを食べる時間も台無しに。

そんな日々を二度と味わなくていいように、今日をもって「嫌いな食べ物」に指定しておく。存在を知ったときの憂鬱に比べれば、とくべつ「嫌い」と言ってあげることはヤブサカではない。明日からはお前と言う存在を知らない世界で生きていく。

…とは言ったものの、この先の人生で口に入る全ての食べ物をコントロール出来るだろうか。時として、自分で選んでないものを食べる機会はあるはずだ。ブ…が居るからと言って自ら避けたくても、シーンによって出来ないことも想定される。それに、B...が標準装備されてるメニューの中には好物もある。奴のために食べられないなんて、悔しい。

例えばシチュー。あんなに美味しいのに、奴はいる。一応書いておくが、筆者はパン派だ。ご飯で食べるために濃いめに作られたStewも堪らなく美味しいけれど、やはり大抵のStewはパンと仲がいい。話を戻す、件のb...に対しては「お前、いたんだ」という態度を示していきたい。廊下ですれ違った友達のツレ、ちょっとした毛繕いのようなタイム感では、触れられない存在。とりあえずニコニコしておけば、何事にもならない存在。折角話が盛り上がってたのに、すれ違い様に腰を折られて、去った後に「あれ、なんの話してたっけ」なんて…おっと、いつの間にかブロツコリ側の立場に。

同族嫌悪なのか、もしかして。いやいや、私とアイツは違う。決して違う。ていうかアイツって誰だ?

何の話をしていたのか忘れてしまった。よくある。あ、好きなドーナツの話だ。ミスドのね。エンゼルフレンチです。

幼い頃は馴染んでた

ハッピーターンとカルピスで町中を、あや跳びで駆けた過去をハイボールで流し込む。全然楽しく無くなってしまった。

口を開けば下、シモ、しも。10分前から耳を閉じた。快楽に溺れ、事中の詳細に舌を揺らす。教えての不作為じゃ止められない。教えないでの作為が必要だった。

もう会いたくない。もっと楽しかったはずの私たち。

ハンカチ、なんまい

戸棚を整理して気づく。下着よりずうっとハンカチの数が多い。いや、下着の数が少なすぎる。元々持ってないのに、毎年ひとつは何処へ消えている。何処へ。そういえばこれ、いつから。指を追ってみる。親指の開閉に絶望。家電じゃん。

安物とはいえこれだけ保ってしまう。つまりプチプラ処ろではない。微プライス。マイプラ。ふざけるな、怒り爆発。無印良品へ爆走。ふたつ、購入。試しのつもり、一応、すぐ、すぐまた買うから、きっと。ていうか無印何もかも在る。便利すぎる。

何処で買うものなんだろ、普通は。たぶん無印じゃない。でも無印に向かってしまった。帰りに通ったな、専門店…。

いちごみるくごはん

3番目に古い記憶。テレビを見ながら飴を舐めてたら、知らぬ間に夕飯の時間になってて、しびれを切らした母親に白飯を突っ込まれた、まだ飴がいるのに。一生忘れられない。だから紅茶も苦手。

だから?白ごはんみたいな存在と甘いのが組み合ったのがトラウマだから。お茶はお茶なのに、甘いのが無理。もうお茶もしばらく飲んでない、水水!

いちごみるくもちょっと身構える。あんなにやさしい見た目なのに、すごくこわい。

 

 

m.n.

(p.s.ではない、MっぴつNがら)

改行飽きました。

蕎麦と味噌汁

こんなに美しくなくて、

生きてしまっていいのだろうか?

 

ここ2、3日はボーっと生きている。敢えてそうしたのか、意図せずそうなったのか、境目を見失ってしまった。一生をこのまま無駄にしてしまいそうな気分、3日目。

何がしたくて生きているのかはまだ忘れてないけど、その途中を過ごし続けることに飽きてしまった気がする、まだ、気がする。ちょっとだけお風呂を先延ばしにしたり、歯磨きをしないまま横になったりしてどうにか抵抗しているけれど、振り切れなくて足は自動的に風呂場に向かって服を脱いで、髪を拭いて換気扇をつけて、ブラシの先にチューブを押し当てて鏡を見つめて、ああ、また悩み始めるところから再生して、目を閉じて、昼を迎える。

死をつい浮かべてしまうけど、この先に死なんてなくて、ただ時間は絶えずつづいていて、止まらなくて、止まなくて、もう。

水を口に含んでみる。飲み込んでしまう。身体を進めてしまう、嫌じゃないけど、イヤで。

 

確定演出

 

 

 

1.家で全然勉強できない

「そうだ!図書館いこう!」

2.図書館でめちゃくちゃ勉強する

3.雨&体調崩して仕方なく家で勉強

4.図書館でやってるのと同じやり方で勉強

え、、、めちゃくちゃ集中できる、、、

5.家でめちゃくちゃ勉強する

6.図書館行く必要なくなる

7.外でない

8.引きこもる

1にもどる

 

 

 

 

 

まだ5なんだけど

 

確実に外出るのめんどくさくなりそうでコワイ