活動するゴジラ

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ストレスの矛先

これまでの人生を通してわかったことがある。日々の生活の「悲しい、しんどい、つらい」は食事において発露する。第一次人生もうやめちまいたいブーム下、白米の味が耐えられなくなった。とっても不味かった。今ではモリモリ食べられるが、当時はとても飲み込める味じゃなかった。白米が食べられないと、体重は減少した。健康な身体の作用によって当時の記憶は朧げになってはいるが、あれほど白米が不味かったことはない。

極端な例は上に挙げた通りだが、平常時においても作動することがある。友人などと外で食事するとき、楽しくて仕方ないのだが、なぜか食事量が半分ほどになってしまう。緊張しているのか。覚えていないほど昔から知っている仲でも、胃のサイズがお上品になってしまう。たらふく食べられることは極めて稀で、記憶にある限り一度だけだ。餃子を50個食べたとき、自分にとって相手がどれだけ安らげる存在なのか、自分の身体のことなのに感動してしまった。

暴食に走ったことはない、気がする。覚えてないのかもしれない。ムサムサしたときにわさビーフを無我夢中で一袋食べたことはある。あれ、食べてるじゃん。

わさビーフって、美味しい。すっぱムーチョって、美味しい。食べた後は1秒でも早く歯を磨きたくなるけど、それでも食べてしまう。なんであんなに美味しいんだろう。

何にも食べられなくなったら、わさビーフを食べよう。身体に悪くていいから、とりあえずわさビーフ食べて元気になろう。