活動するゴジラ

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続・好きの反対

以前ブロツコリとやらの悪口をここに書いた気がする。食べたことないけど。もうひとつあったので追記。

筆者はラーメンが好きである。とはいえラーメンが嫌いな人間と出会ったことがないので、わざわざ筆者はなどと付け加えなくてよいだろう。幼少期から成長していくにつれ、食べられる具材が増えていくのだが、メンマはいっこうに好きになる気がしない。

端材の再利用みたいな見た目をしていて、何で出来ているのか見当もつかない。しかし、毎度残すわけではなく、どちらかというと食べることの方が多い。好きでもないのに、なぜ食べられるのか。

球技大会を思い出して欲しい。筆者はフットサルのキーパーとして出場し、思いの外活躍したことで決勝まで行ったことがある。そのときの盛り上がりは異常で、試合中はクラスの面々が応援に来てくれていた。勝利するなり、歓喜の声を上げながら選手を囲むように近づいてくる。普段は全く話さないような、どちらかというと関わりたくないような人でさえ私の活躍を喜び、讃えてくれる。そこには謎の高揚と一体感が存在し、斯く言う筆者も上気していた。何となく話さなくなった人の手にだって触れて、笑顔で言葉を交わした。今思うと気持ちが悪いが。

話が逸れたように思われる。しかし、ラーメンのメンマも、球技大会のそれも同じなのだ。ハイになっているうちは、どんなものだって受け入れられる。麺とスープと一緒に口に入れれば、美味しいの侵食によってメンマなどという存在は消える。だから食べられる。以前例に挙げたStewもこういう原理が働いているのだ。

つくねの軟骨だって、中華丼のきくらげだってそう。好きと食べられるかどうかは、時と場合によるのだ。